2026.10.02

ゆっこに森のことを聞いた日

 ことの始まりは、plowerのデザイナー・みなみから「ゆっこっていう、森に詳しい面白い人がいるから話聞いて記事にしてよ!」という提案だった。森か〜。真っ平で坂道すらほぼない関東平野で生まれ育った私は、森に関してはノーマークで生きてきたため、どんなふうに話を聞こうか少し悩んだ。plowerとゆっこ(赤谷プロジェクト)の連携や活動は、すでにMo:takeや上毛新聞で記事になっている。改めて何を聞けばいいのか━━━そこで思い出したのが、20代の頃に参加した自然保護団体主催のフィールドワークの記憶だ。その地に住みながら知らなかった、土・水・草原の関係や地層のこと、生き物の循環のことを聞き、一層その地域を好きになった経験がある。

 私はみなかみに先々月引っ越してきたばかりだし、地域や循環という単語にとらわれず、森について個人的に気になったことをプロに答えてもらえる絶好の機会じゃないかと思い直した。この取材で、この土地が好きになるかも。物事の仕組みや理屈や型を知るのが好きだから、質問は自ずと湧いてきた。私は数学ができないタイプの理系だ。

 9月の初め、「ゆっこ」こと森本裕希子さんとお会いした。10ヶ月の娘さんをおぶって登場した彼女は私と同い年で、自然を相手に仕事をしている人に共通する、気取らず気負わず、穏やかな雰囲気をまとっていた。

 ゆっこが関わる赤谷プロジェクトとは、群馬と新潟の県境に広がる国有林で、生物多様性の復元と、持続的な地域づくりを進める取り組みだ。

 大阪生まれの彼女は幼い頃、地元にあった雑木林で不思議な居心地の良さを感じ取っていたが、やがてそこは開発によって失われる。時は流れ高校の進路選択の折、世界的に環境問題意識が高まる中で「森が好き」という幼い頃の感覚をたよりに、環境教育を専攻することとなる。進学先のインターンで赤谷プロジェクトに携わるようになった彼女は、記録係などの細かい作業のかたわら、研究者や第一線で活躍する面々の知識や生の声をすぐそばで聞き、さらに森への関心を深めていく。

さて、赤谷プロジェクトの目的のひとつである生物多様性の復元の具体的な活動内容は〔人工林を自然林へ還す〕ことだ。
 でも、なぜ人工林のままではいけないのか。人工林だってそんなに悪さしないだろうし、ダメなら放っておけばそのうち自然林に戻っていくのでは?そもそも、人工林と自然林の違いって何?
 無知ゆえの無遠慮な質問にも、ゆっこは「いい質問だなぁ!」と白い歯をのぞかせ、順を追い丁寧に答えてくれる。

 まず、自然林は木同士の間隔が広く、種類が豊富で、樹齢も若いものから老いたものまで幅広く分布している。対して人工林は、いうなれば木の畑であり、同じ種類・年代のものが狭い間隔で植えられ生えている。

 たしかに放っておけば自然林に戻っていくだろう。ただし、完全な自然林に戻るには何百年、何千年かかるかわからない。
 狭い間隔で植えられた人工林は、食物連鎖の頂点にいる大型猛禽類の狩場をなくす。重なり合う枝葉で日光が地表まで届かず、背の低い草木が生えなくなる。それらを糧や産卵場とする虫たちはやがて消え、食物連鎖の均衡が崩れていく。また、地表を覆う草は貯水機能を担っており、それが無くなると土砂崩れの頻度があがる。風が吹けば桶屋が儲かる、の嫌なパターンで、書いているだけでゲンナリしてくる。

 そして、人の手で自然林に還すのも簡単ではない。赤谷プロジェクトは2003年から始まり今年で23年目になるが、実験や検証を繰り返し、自然林復元を試行錯誤しているのだ。

 ここで私はまたデリカシーのない質問をする。「復元って、一体いつの時代の森を目指しているの?」ゆっこはまた、よくぞ聞いてくれた!というような顔で嬉々として教えてくれる。申し訳ありません。

 人工林と聞いてまず、建築や製造のためにスギやヒノキなどの針葉樹を植林した、つい数百年のことを思い浮かべるだろう。だが人工林の歴史は縄文時代まで遡ることができる。縄文時代の樹木を調査すると、ある範囲で不自然に栗の木ばかり生えていた形跡があるという。これも立派な人工林ではないか。このように、どの状態を人工林/自然林と定義するのかは難しく、混沌としている。

 そのため、赤谷プロジェクトは特定の年代の状態を目指すわけではない。森を調査し、科学的な根拠「潜在自然植生」に基づいて目指す目標を制定している。潜在自然植生とは、人の干渉を取り除いたと仮定したとき、そこにいる生物・気候・地形が成立させるだろう植物の集まりのことだ。

 たとえば平地から山の低い場所ではコナラが、標高の高い場所ではミズナラが多く分布することがわかっており、その境目が標高900m付近なのだという。このような基準を用いることで、様々な分野の人々が携わる赤谷プロジェクトは皆で納得し、冷静に活動を進めることができている。そしてその後どうなったかをモニタリングする。泥臭く、しかも結果はだいぶ先にしかわからない地道な作業の繰り返しで、蓄積したデータを次へ活かしていくのだという。

 これは、自然保護という分野が外部から「闇雲に自然を守ると言っているだけと思われやすい」という歯がゆい問題をも、しなやかに解決していると筆者は思った。
 少し話は逸れるが、赤谷プロジェクトの始まりは、森を切り開いてリゾート施設を建設するという計画に、地域住民の一部が反対したことから始まった。実は当時、議会はもとより住民の多くが、経済効果に期待を寄せてこの建設計画に賛成だったのだ。

 そんな意見の違う多勢を説得できたのは、自然が持続的な地域づくりに繋がることももちろんだが、それを裏付ける冷静なデータがあったからだと思う。ただふんわりキラキラと森を守る!と叫ぶのではなく、誰も否定できない明らかな事実を共有し、みんなで納得していく丁寧さをこのプロジェクトのメンバーは大切にしていると感じた。

 自然林と人の暮らしとの関係は、空気や水の浄化や貯水だったり、野生動物の生態系がうまく保たれることで畑の獣害が減ったりといった、間接的なものばかりだ。人の知覚しないところで関係しているから、その重要性に気づきにくい。
 赤谷プロジェクトは、いろんな価値観を持つみんなが納得できるデータを積み上げて示し、わかりにくいをわかるようにする活動でもあるのだとゆっこは語った。

 日本には森がいくつもあるけれど、赤谷の森の良さを挙げるなら?との問いにゆっこは「色んな形の自然があるというポテンシャル」と答えた。高原、森、薪炭林やきのこ林、林業、それらが共存しているのが赤谷の森だ。

 様々な物事が一緒にあることは複雑で、しかもそれが当たり前のようであるほど大切さに気づきにくい。不要と思われた小さなネジが、私たちの知覚しないところで循環の一部を担う重要なパーツかもしれない。活動におけるそういった思慮深さからは、ただクールにデータを集めるだけではない熱を感じる。

 それは赤谷プロジェクトに対するゆっこの考え方にも表れている。

 この活動は、おそらくヒト1人の一生では足りず、何世代も続く長い道のりをバトンを渡しながらやっと辿り着くことができるものだ。大きな流れの中、自らがいちパーツとなりつつ観測していることに、ある種のロマンを感じるのだという。

 「森ってなんか落ち着くんだよなぁ。静かなイメージをよくされるけど、実際色んな音が響いてて賑やかよね。その賑やかさが良いのかな?」不思議だな〜と話す彼女の表情は、人生の頼りなさと自然の圧倒的な厳しさを軽やかに乗りこなしているように見えた。

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